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本トピック:"
鮭霊塔
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(トピック型:"塚")
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Ψ http://topicmaps-space.jp/psi/kuyo/tumulus-1000263
【内部出現】
項目
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内容
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緯度/経度 (10進数)
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37.645056 /141.001833
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緯度/経度 (60進数)
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37°38′42.2″/141°00′06.6″
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所在地
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南相馬市 原町区泉字関下183
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祀りの場など
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新田川鮭蕃殖漁業協同組合食堂部
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その他
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新田橋の北側にある鮭川食堂の裏手に鮭霊塔と鮭の孵化場がある。正面は、「鮭霊塔」と「原町市長 門馬直孝」とある。左側面には福島県議会や原町市議会関係者3名の名前、右側面には「平成五年 新田川鮭蕃殖漁業協同組合」の他、漁協関係者の名前がある。裏面には「赤鷲神社と鮭と川の歴史」として説明文が刻まれている。それによると、新田川では泉、北泉、上渋佐、下渋佐の四部落が古くから鮭を取っていたと思われ、その後、特定の魚師集団ができ、漁業権をえて漁業に従事していた。人々は、慶長11年(1659)頃に泉十一面観音を分霊した明神様を大磯惣ヶ沢河口152番地に迎え、そこで鮭の大漁祈願した。その後、明神様は惣ヶ沢104番地に移転した。藩は新田川の鮭漁に目をつけ、沿岸漁民に特典を与えると共に、運上川と称して1カ年8両3分を藩に上納させ許可を与えて漁業に従事させてきた。人々は運上調達鮭にかわり鮭の物納を願い、許しを得て鮭816半をもって代納することになった。そして藩は、塩鮭をコゴモリと称して幕府に献上していた。明治時代に入ると神仏分離令に従い、明治4年8月に明神様を赤鷲神社に改めた。河口付近に赤鷲があらわれ鮭をくわえて天高く舞い上がり遠くに去って行くところを見て豊漁の使えとしたことによる。平成3年8月(1991)は赤鷲神社に改めて120年目にあたるのを記念し、鮭の大漁、地域の発展をもたらした鮭の霊を慰めようと鮭霊塔が建てられた。
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【関連】
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位置する(市区町村)
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市区町村内の塚:
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鮭霊塔
(塚)
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所在市区町村:
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南相馬市
(市区町村)
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位置する(都道府県)
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都道府県内の塚:
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鮭霊塔
(塚)
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所在都道府県:
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福島県
(都道府県)
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供養する
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供養対象:
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鮭霊塔
(塚)
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供養対象分類:
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サケ
(対象)
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分類する
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域分類対象:
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鮭霊塔
(塚)
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域分類:
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水域
(域)
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建立する
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建立年の塚:
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鮭霊塔
(塚)
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建立した年:
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1993
(建立年)
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記述する
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記述対象の塚:
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鮭霊塔
(塚)
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記述文献:
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動物のお墓HP
(文献)
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