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本トピック:"
鮭供養塔
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(トピック型:"塚")
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Ψ http://topicmaps-space.jp/psi/kuyo/tumulus-1000264
【内部出現】
項目
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内容
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緯度/経度 (10進数)
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37.487667 /141.024917
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緯度/経度 (60進数)
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37°29′15.6″/141°01′29.7″
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所在地
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双葉郡浪江町 大字北幾世橋字荒井前
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祀りの場など
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泉田川漁業協同組合
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その他
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泉田川の川岸に泉田川漁業協同組合があり、裏手には観光食堂や鮭の孵化場、供養塔がある。供養塔は大きな板碑で、裏面には漁協の由来や供養塔建立の経緯が記されている。<改行>元禄年間は泉田村と称したが相馬藩主昌胤公が当村に御隠居遊ばされ時の内大臣中院通茂卿の御下命にて幾世橋村と改名、爾来藩公毎年泉田川に御遊覧鮭献上の儀及び鮭蕃殖法累年絶えることがない。古昔より泉田川南川の鮭と通称する大正天皇東宮殿下の御代明治41年10月9日東北御巡幸の記念事業として天然孵化場、人工孵化場を設置し、組合員協議の結果組合名を泉田川鮭鱒と改称した。昭和28年の漁業権の一本化により泉田川漁業協同組合と改組、昭和41年南川北川の梁場を廃し荒井前に梁場を移して現在に至る。泉田川漁協は毎期親魚売上金額の一割を負担金として協同一致会に支払っており、協同一致会の資金は幾世橋両大字神社などの公共施設や、泉田川漁業協同組合の施設整備にも利用されている。供養塔の建立資金50万円も協同一致会が負担した。<改行>鮭供養塔建立趣旨は、「有史以前より毎秋李泉田川に戻ってきた鮭は幾千万と推定される。鮭は川で産卵受精してその一生を終える。新しい生命は稚魚となり北洋で育ち四年後生まれた川に親鮭となって戻ってくる。古来より鮭は報恩相愛の魚として珍重されている。泉田川の鮭は地域住民の生命を支える蛋白源であり昔から生食だけでなく塩蔵燻製にして年中の食糧とされてきた。昭和五十三年四月泉田川漁業協同組合は幾世橋共同一致会の発議により鮭供養塔を建立し、泉田川において生涯を終えた幾千万の鮭霊を供養してその徳を讃えるものである。 昭和五十三年四月三十日」とある。
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【関連】
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位置する(市区町村)
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市区町村内の塚:
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鮭供養塔
(塚)
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所在市区町村:
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双葉郡浪江町
(市区町村)
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位置する(都道府県)
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都道府県内の塚:
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鮭供養塔
(塚)
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所在都道府県:
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福島県
(都道府県)
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供養する
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供養対象:
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鮭供養塔
(塚)
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供養対象分類:
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サケ
(対象)
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分類する
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域分類対象:
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鮭供養塔
(塚)
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域分類:
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水域
(域)
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建立する
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建立年の塚:
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鮭供養塔
(塚)
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建立した年:
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1978
(建立年)
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記述する
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記述対象の塚:
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鮭供養塔
(塚)
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記述文献:
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動物のお墓HP
(文献)
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