*

生き物供養碑 topic map

As a bridge between Information processing and Knowledge processing
    Vizigate    Query    Go to top           
Menu (Topic Type)
対象
都道府県
市区町村
建立年
文献
写真
対象ごとの塚の数
都道府県ごとの塚の数
市区町村ごとの塚の数
建立年ごとの塚の数
文献ごとの塚の数
本トピック:" 鰻魚及一切水族靈 " (トピック型:"塚")
  • Ψ http://topicmaps-space.jp/psi/kuyo/tumulus-1000502



【内部出現】

項目 内容
緯度/経度 (10進数) 35.861274 /140.062120
緯度/経度 (60進数) 35°51′40.6″/140°03′43.6″
所在地 我孫子市 都部新田
祀りの場など 水神社
その他 うなぎ塚:『昔、1人の漁師が手賀沼で、何と三貫目もある大きなうなぎを釣り上げた。それはまるで怪物のように大きく、買い手がつかぬまま死んでしまった。そこで供養のために塚をたてた、という話と、釣り上げた漁師がまもなく死んだので、沼の主のタタリと感じた漁師たちが塚をつくって供養した、という二つの話が残されている。』<改行>(『我孫子の史跡を訪ねる』72ページ)<改行>大鰻(おおうなぎ)の祟(たた)り<改行>『八左衛門(はちざえもん)という男が長さ2m、重さが三貫もある鰻を捕まえ、屋敷に飾ると祟(たたり)が起きた。そこで鰻を瓶に入れ埋め、塚を築いて祀(まつ)ったところ、祟がおさまった。八左衛門の娘のマンは一生嫁がず鰻塚を守った。八左衛門の長男太郎(マンの兄)の妻は九十歳まで生き、それ以来八左衛門の一族は九十歳まで生きるものが多くなった。これは、明治の初めの話だという。また、この塚は都部新田の水神宮にあるともいう。 この話は近いころに起きた事件であるかのように話されているが、本来は伝説であったものが事実譚(たん)の形をとった話だと考えられる。』(『我孫子市史 民俗・文化財篇』(我孫子市教育委員会編集・発行)139ページより)<改行>この「うなぎ塚」だと言われている板石が我孫子市内にあり、その板石の拓本をとった資料があります(『我孫子市史資料 金石文篇』(我孫子市教育委員会編集・発行)338ページ)。拓本には「鰻魚及一切水族靈」、裏には「維●明治35年3月吉祥日 施主 守家建造滞在大井氏方謹刻之」。

【関連】
       
位置する(市区町村)
    市区町村内の塚: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   所在市区町村: 我孫子市 (市区町村)
位置する(都道府県)
    都道府県内の塚: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   所在都道府県: 千葉県 (都道府県)
供養する
    供養対象: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   供養対象分類: ウナギ (対象)
分類する
    域分類対象: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   域分類: 水域 (域)
建立する
    建立年の塚: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   建立した年: 1902 (建立年)
記述する
    記述対象の塚: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   記述文献: 我孫子市HP (文献)
    記述対象の塚: 鰻魚及一切水族靈 (塚)   記述文献: [三浦2010] (文献)


Powered by OKS (Ontopia Knowledge Suite)    
Knowledge Synergy Inc.