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本トピック:"
蟹塚
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(トピック型:"塚")
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Ψ http://topicmaps-space.jp/psi/kuyo/tumulus-1001093
【内部出現】
項目
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内容
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緯度/経度 (10進数)
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34.656861 /134.977444
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緯度/経度 (60進数)
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34°39′24.7″/134°58′38.8″
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所在地
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明石市
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その他
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公園の脇に「蟹塚」と刻まれた石碑がある。左右、後ろは何も書かれていない。明石史話会の木製の看板があり、土盛りに埋められたカニと、僧侶の絵が描かれていた。<改行>明石市林崎の北、国道2号線沿いに「和坂」と書いて「かにがさか」と読むところがある。かつては、稲荷山と唐熊山にはさまれた、坂上寺の山裾を縫うようにして続く険しい道であった。平安時代の初頭、この坂の深い雑木林に一匹の年を経た古狐が棲んでいた。夜な夜なこの古狐が蟹の面をかぶり道行く人々を襲っていた。その頃、この坂の下に二つ池という大池があり、この池の中にある蟹が岩と呼ばれる大きな岩に巨大な蟹が棲んでいた。この狐の悪行はこの大蟹の耳にも入り、怒った大蟹は狐と戦った。この争い、大蟹が勝ったのだが、今度は勢いに乗った大蟹が驕り、この坂を行き交う人々を襲い始めた。そこへ諸国を巡礼していた弘法大師が人々が大蟹に苦しんでいる事を聞き及び、大師はこの大蟹の心を和らげ、この蟹が岩に封じ込めた。以来、人々は穏やかに過ごす事が出来るようになったという。その事があって以来、弘法大師が大蟹を封じ込めた岩を「蟹塚」、大蟹が出没していた坂を「蟹和坂(かにがさか)」と呼ぶようになったという。<改行>かつての二つ池は埋め立てられ、今は明石市の浄水場となっている。今から60年ほど前までは、この池の中に島があり、その島に「蟹塚」の碑が建っていた。この碑は近くの公園に移されひっそりと佇んでいた。和坂の少し西には、蟹を封じた弘法大師を祀る坂上寺がある。かつては大師を祀る小堂であったが、寛文九年(1632)、明石藩主小笠原忠政夫人が伽藍に再建、坂上寺と名付けた。<改行>余談だが、大蟹の伝説は他にも、神戸市の灘区に蟹が滝、蟹ヶ山、北区の曇が滝の主の黄金の蟹等がある。
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【関連】
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位置する(市区町村)
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市区町村内の塚:
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蟹塚
(塚)
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所在市区町村:
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明石市
(市区町村)
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位置する(都道府県)
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都道府県内の塚:
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蟹塚
(塚)
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所在都道府県:
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兵庫県
(都道府県)
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供養する
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供養対象:
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蟹塚
(塚)
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供養対象分類:
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カニ
(対象)
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分類する
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域分類対象:
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蟹塚
(塚)
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域分類:
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水域
(域)
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